渾名

渾名 あだな 〖命名遊び系〗
当人の本名以外に、人物特徴などから他人が勝手に付けた名前を〈渾名〉あるいは〈又の名〉〈一名(いちめい)〉〈異名(いみよう)〉〈ニックネーム〉などという。本人にとってあまり歓迎したくない内容のものであるのが普通である。
人は幼児から渾名の洗礼体験をもつ。中学へ上がる頃には二つや三つは〈渾名〉を付けられるし、自身も先生や他の友達に付けて面白がったりする。したがって〈渾名〉は、よほど悪質なものでないかぎり、むしろ親称として受け止め、むきになって拒絶しないのが社交上の心得というものだろう。〈渾名〉の傑作は、本人の個性を飾る勲章になりこそすれ、傷つけるようなことにはならないと思う。そして〈渾名〉こそ、最も身近な言葉遊びでもあるのだ。
【例】
古今有名人物の渾名      荻生まとめ
天圧(あめおす)の神(神武天皇)、算左衛門(会田安明)、甘藷先生(青木昆(こん)陽(よう))、憂国ドンキホーテ(赤尾敏)、人間機関車(浅沼稲次郎)、貧乏公方(くぼう)(足利義昭)、トンヤレ宮さん(有栖川熾(ありすがわたる)仁(ひと)親王)、   女彦左(淡谷のり子)、一万田法王(一万(いちま)田(だ)尚(ひさ)登(と))、       捨聖(すてひじり)(一遍上人)、ミスターカルテル(稲山嘉(よし)寛(ひろ))、     眼千両(五代・岩井半四郎)、大雷(おおいかづち)(梅が谷藤太郎)、木食(もくじき)上人(応其)、赤穂の昼行灯(あんどん)(大石良雄)、笑わず屋(金井三笑)、雀(ジャン)聖(阿佐田哲也)、          早稲田の大風呂敷(大隈重信)、強盗慶太(五島慶太)、猿面(さるめん)冠者(かじや)(豊臣秀吉)、さまさようせい(徳川家綱)、夜嵐お絹(原田キヌ)、財界ご意見番(三鬼陽之助)、白足袋宰相(吉田茂) 『日本人名関連用語大辞典』
《参考》
東条大将を軍曹呼ばわり  山口重次
かえって石井参謀に伝えなさい。東条軍曹なんかに戦争が出来るわけがない。わしの見通しに明らかに負けた。本土決戦なんぞというても、軍曹には及ばんことだ。『悲劇の将軍 石原莞爾
*石原莞(かん)爾(じ)(一八八九〜一九四九)は陸軍軍人で中将。板垣大佐と組んで満州建国を推進し実現した。昭和三(一九二八)年に関東軍主任参謀となると、亜細亜の盟主としての日本を位置づけ、自身の史観思想を集成して『戦争史大観』を著す。己の理想の一端が満州国の誕生で実現、面目躍如たるものがあった。強烈な個性をもち敵も多かった。掲出は、戦争も終結近いある日、東北軍管区報道部員の一中尉が石井参謀の命令で石原に戦局見通しの伺いに派遣された時、石原がその中尉に言った言葉である。石原の東条嫌いは徹底していた。時の陸軍大臣で陸軍大将の位にあった東条を一挙に軍曹まで降格させ、「東条軍曹」と呼んではばからなかったのである。