あめつち

あめつち 〖無同字歌系〗
通常〈あめつち(の詞(ことば))〉と呼ばれている平安初期の手習い詞で、作者はわからない。無同字すなわち仮名四十八文字が重複しないように作られただけで、全体としてまとまった意味をなしていない。
あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえをなれゐて
 天地星空山川峰谷雲霧室苔人犬上末硫黄(ゆわ)猿生育(おふ)せよ榎の枝を馴れゐて
右に「ん」は含まれず、傍点えは二度使いだが、当時の発音慣行に準じたもので重複ではない。
あめつちはリズムに乏しく、名詞の羅列が続き、詞章としては幼稚である。言い換えると、まもなく作られる〈いろは歌〉がいかに優れた無同字歌であるか、引き立てる役回りとなった。しかし三十六歌仙の一人である源順(したごう)は、「あめつちの歌四十八首」を沓(くつ)冠(かんむり)折句に詠んで(187ページ)、あめつちの詞の存在を世に知らしめるのに一役買っている。一方歌人の源為(ため)憲(のり)(?〜一〇一一)は、著『口遊(くちずさみ)』において、あめつちを「里女(さとおんな)の訛説なり」とそしり、代わりに別の無同字歌〈太(た)為(い)尓(に)伊(い)天(で)〉(392ページ)を推している。
《参考》
安米都知誦文考      伴友信
ある遠き国人の、現順朝臣家集にあめつちの歌といふがあるは、もとあめつちほしそら云々と、音(コエ)のかぎりをつくしとゝのへたる古文のありしことしるく、其はめでたきことばなりときこゆる由を、くはしく考出たる説あり、そこにはいかにか見つるといひおこせたるに(中略)今まず件の端詞の意を按ふるに、そのかみ四十七音を物事の言(コトバ)にとゝのへて、あめつち云々と唱ふる文のありて、其発端の言をとりて、あめつちと称ふがありけるを、もとその文によりて、藤原有忠朝臣と藤六(藤原輔相)と二人して、歌によまれたりけるに、順朝臣其返しに此歌をよみ給へるよしなり(中略)かくてもとの歌には、あめつちの文を一もじづゝ、次第のまゝに歌毎の起句の上にすゑてよみたりけるを、順ぬしそれに競ひて、さらに其もじを起句の上と結句の下とにすゑて、四季と思恋の六題に分かちてよみ給へるなり

網目襷

網目襷 あみめだすき 〖アクロスティック系〗
〈網目襷〉は、往時の〈八重襷〉の現代版である。出典に例示の作品を発見したとき、現代でもこうした労作に取り組んでいる人がいることを知って筆者は感動を覚えた。網目襷を作れるということは、並ならぬ言語遊戯の才能の持ち主である。作例の場合、視点に恒久性があり、けちの付けようのない傑作だ。


図▼作品の説明
① ⑤ ⑦ ⑪の句
 真実さ 「核」が科学か 殺人し
② ④ ⑧ ⑩の句
 参戦は 駄目だよだめだ 反戦
③ ⑨の句
 過熱の世 「苦」先ず渦巻く 世の常か
⑥ ⑫の句
 親政は 伝統飛んで 敗戦し

阿呆陀羅経

阿呆陀羅経 あほだらきょう 〖口演芸系〗
〈阿呆陀羅経〉は、放浪僧が大道や門付で演じる俗謡である。江戸後期に出現、曲詞を変えながらも昭和初期まで、きわめて長い命脈を保った。
阿呆陀羅経では時事関連の「経文尽し」が主流で、これを願人坊主があたかも読経のごとくに節付けで流れるように歌唱した。そのはず、源をただせば〈早物語〉(早口言葉の発祥源)にたどり着く。小さな木魚を叩きながら、時事尽しなど今様の詞のものをいくつも作っては賑にぎしく歌い、大人よりも子供たちの人気を集めた。もとより不特定多数の者がかかわった門付芸であるから、作者や流行時期などは特定できるものでないし、江戸期の随筆等での表記もまちまちである。
【例】
阿呆陀羅「経尽し」
♪ハーい、はじまり、さてはいよいよ、これからは、三味線弾きが三味線弾くのが、尺八吹くのが早いか、しゃべる私が速いのか、速いくらべのお笑いは、本尊様に真向(まむき)に、むかし習ったお経が真言経に観音経か阿呆陀羅経かぴかん経。ありがたいお経はすっからかんと忘れまして、浮かれたお経、心経迦(しんぎょうか)尼(に)大菩薩。あぶく立った、煮い立った、酔っ払ったら飯(まんま)がこげて、くり皿飯や、持った杓子でかきまわせ、ちょせんがおらんだ港が白(しら)んだ。役者がにらみ、お米が高いのにめっぽう食った。丼飯十杯食って、納豆汁十杯食い、秋刀魚(さんま)の干物十枚噛んで、豌豆(えんどう)まめを五合食って、心太(ところてん)を十丁食い、菜食ってしおれて、牛蒡(ごぼう)食って、逆立(さつちよこた)った飯を食って、舌出した茗荷食って馬鹿になった。辛子を飲んでぐっとし、犬食って狸を食って、もぐらを食って馬食って、鹿食いそれでも足りない。『図説 ことばあそび遊辞苑』第13章
仏説阿保多羅経   婆訶那(ばかな)国道(こくど)呂(ろ)法師(ぼうし)
♪女郎買いたい、一体好色、全体野良、皆これ幼少から、育ちが悪いから、小便垂りや、可哀相に、屎(ばば)すりや、可憐(いとんぼ)に、洟(はな)垂(た)りや、舐(ねず)り込み、つまみ食いや、買い食らいは、年中年百(ねんびやく)、商売同然、それから、段々こうじ、小遣(こづかい)銭(ぜに)や、端銭(はしたぜに)は、常住不断、ひっ掛けちょい掛け、くすね込み、御法度の穴一(あないち)、六道、宝引(ほうびき)、ばっかりして、終いにゃ、喧嘩口論、近所町内、友達が、どやどや出て失せ、おらが頭(どたま)、叩いたぜ、ど突いたぜ、堪忍ならん、料簡せんぞ、何じゃかんじゃと言ふてうせ、さりとは困りいり、親達も、ほっこりして、寺屋へ追いやれば、手習いは、さらさいで、ど頭(たま)ばっかり掻いておる、そのくせ、拗(す)ね坊(ぼ)で、しゃっ面(つら)まで、真っ黒けに、ちぎるような、青(あお)洟(ばな)垂れ、牛のような、涎(よだれ)繰(く)り、さすがの、親衆も愛想も小想(こそう)も、尽き果て、為事(しよこと)なしに、奉公さしや、夜尿(よばり)こき、盗み食いで、三日目や、四日目に、ぽい出され、行先や、さんざん骨灰(こつぱい)、方々遍歴、うろうろするうち、どうやらこうやらありつき、ほどなく、元服して、半年ほど、辛抱すりゃ、味噌汁がすっ天辺(てつぺん)へ、飛び上がり、それから、城の馬場(ばんば)、浜々(はまばま)、惣(そう)嫁(か)、夜発(やほつ)、辻(つじ)君(ぎみ)、様々(さまざま)、修業して、密屋(こそや)へはまり込み、まず最初編笠、梅ケ枝、勝曼坂(しよまんざか)、髭剃り、難波(なんば)新地(じんち)、引っ張り込み、尼寺、馬場先(ばばさき)、茶屋小屋、踏み倒し、彼方(あちや)から催促すりゃ、盆屋(ぼんや)からねだり込み、親方、これを聞いて、おおきに立腹、にわかに、帳面見りゃ、十両ほどだだぼだ、請人を、早々呼んで、右の次第、逐一語れば、請人は、驚き、惣々(そうぞう)顔を見合わして、びっくり、仰天、一言(いちごん)の申し訳、これなく、謝りて、ど奴(さ)めを、引っ立て帰り、この由、告ぐれば、親さえ愛想尽き、着のままで、勘当する、一家(いつけ)親類、さっぱり義絶、友達の、所(とこ)いでも、鼻の先で、挨拶する、嬶(かか)までが、同じように、面付(つらつき)が、とんと良(よ)うない、時分でも、茶漬一杯、食わんかと、吐(ぬ)かさず、彼方(あつちや)向いて、為(せ)イでも大事無い、事ばかり、まごまごして居や、取り付く島さえ、手持ち無くうじうじしおしお、早々(そうそう)、出て、彼方(あつちや)行(い)ても、此方(こちや)行(い)ても、何処(どこ)行(い)てもいっこう益体(やくたい)、さすがのどさ奴(め)も、はじめて思い知り、詮方(せんかた)尽き、長町(ながまち)のぐれ宿(やど)い、はまり込み、寒(かん)のうち、真っ裸で、三日ほど、米踏みや、脚気(かつけ)踏出し、油搾(し)めに、行(い)てみりゃ、けんぺき、風邪引いて失せ、揚句にゃ、皮癬(ひぜん)掻いて、おどもりや、疳(かん)瘡(そ)病んで、骨々(ほねぼね)疼き回り、夜も昼もうんうん、きやきや言うてばっかり、食らい物(もん)も、得(え)食らわず、宿銭も無ければ、宿屋から、叩き出す、うろうろきょろきょろ、小便さえ、出かねて、涙ばかり、こぼして、ちんばひいたり、いざったり、みなこれ、心から、五尺の体が、いまさら、邪魔になって、死ぬるのもいやなり、僭上(せんじよう)詰まり、橋の上に、米俵一枚着て、永々煩いました、一銭二銭御報謝(ごほうしや)と、吠え面(づら)構えて、御助けなされて、下三貘三、盆(ぼん)無(ない) 『仏説阿保多羅経狂作天口斎編撰』
*戯作者が「訳」としてはいるが、きわめて読みづらい。現代表記の必要から、荻生があえて改変。京阪地方の生のままの俗語がたくさん使ってあるのにも注目したい。この例はかなりの長文ではあるが、人一倍記憶力に優れた彼ら盲目の法師ら、この程度の詞章の暗記はまったく苦にしないという。

アナグラム〔名称〕

アナグラム〔名称〕 ──めいしょう 〖アナグラム系〗
名称はたいてい短い音数であるから、手軽にアナグラムが作れる。たとえばタレントのタモリは本名が森田(一義)、姓をアナグラム+倒語化し芸名としている。推理作家の泡坂妻夫(あわさかつまお)は本名が厚川(あつかわ)正夫(まさお)で、これをアナグラム化。私事だが、かくいう筆生も
 内(うち) 山(やま) 幸(ゆき) 雄(お)(本姓名)
    ↓
お灸(きゆう) 待(ま)ちや(姓名のつづり換え成句)
   ↓
荻(おぎ) 生(ゆう) 待(まち) 也(や)(さらにペンネーム化)
と、アナグラムにのせたものである。
 終戦直後はアナグラム隠語の氾濫時代であった。ヤクザ仲間の地名隠語などが一般人にまで使われ、ザギン(銀座)、ノナカ(中野)、ノガミ(上野の音通)などは馴染深かった。

アナグラム〔戯句〕

アナグラム〔戯句〕 ── ざれく 〖アナグラム系〗
俳句や〈川柳〉など十七音構成のものは、名称と比べると〈アナグラム〉化が難しくなる。音数が増えるからだが、これとて作ってみるとなかなか妙味があって愉しめる。元句はよく知られたものであることが条件。さらに読み手の理解を助けるために現代表記に変えなければならない。
【例】
朝顔(あさがお)に釣瓶(つるべ)取(と)られてもらい水(みず)   千代女
      ↓
 鬼(おに)が居(い)て見(み)られ洩(も)らさずあツ翔(と)べる           荻生作
 *現代表記に改変。「居」の訓はゐが正しいが、音通によりいを許容とする。
▽やせ蛙(がえる)負(ま)けるな一茶(いつさ)是(これ)にあり   一茶
      ↓
 競(せ)り負(ま)ける恋(こい)につれなや朝(あさ)帰(かえ)る             荻生作
 *現代表記に改変。

アナグラム/アナグラム〔暗号〕

アナグラム anagram 〖アナグラム系〗
ある語句のつづりを一字ずつに分解し、そのすべてを使って、まったく別の語句に仕立てるものを〈アナグラム〉という。簡単な例で「やまと」を「とやま」に、live(生)をevil(邪)に換えるといった遊びである。
アナグラムは西欧で古くから発達した言語遊戯で、王家によってはアナグラムを得意とする宮廷詩人を擁した例すらあった。その点、西欧の言語は日本語とちがい、限られた数のアルファベットをさまざまな組み合わせでつづるものであるため、アナグラムにより適している。日本語においても、単純なものは名称などのアナグラムから、複雑なものは四十七字のつづり換え〈無同字歌〉まで、事例に事欠かない。
アナグラム〔暗号〕 ──あんごう 〖アナグラム系〗
往時、暗号の作成ではアナグラムも重要な手法であった。今ではコンピュータを使い乱数表などを用いての高度の暗号が開発されている。
ここでは暗号の解読などという大げさなものでなく、言葉遊び風の、しごく単純な一例を掲げておく。左記の例、「渦巻き文」になっていて、あえて解答を付けるまでもなかろう。
【例】

跡付

跡付 あとづけ 〖尻取り系〗
有名詩歌などの語句の尻の字または部分を次の文句の頭に置いて連ねていくものを〈跡付〉あるいは〈尻取り付廻(つけまわ)し〉という。古典にも次の説明がみえる。
江戸にては尻取り付廻しと云、京摂にては跡付と云有、句の下の詞を次の句の上に置事なり 『皇都午睡』初編上
 要するに尻取りであることに変わりなく、連作が自分一人のものに限らない、あるいは土地による呼称の相違、というだけのことである。
【例】
東山跡付
ふとん着て寝たる姿や丸山のほとりの春景色、しきりに左阿弥の三味の音、音にきこえし端の寮、料理のあつらえ正あみか、かつちりあたる也阿弥でも、もちつとげん阿弥見えませぬ、ませぬ舞子のそのなかに、中にとりわけ弁才天、てんごう御言いなこちや惚れん、れん阿弥大抵じや値ができん、できたら大谷のかのうたり、二人で遊ぶ長楽寺、地の神さんが連れだちて、たつてお寄りと二軒茶屋、やたらに詣る祇園さん、山門ながら知恩院、陰気なお客はくわん阿弥の、乗せる舟から長喜庵か、 (中略)じやらじやら流るる滝本の、元の孔雀は入り替り、代りの女が北佐野か、駈けて来たのは佐野屋の源左衛門か、可愛いかわいと高台寺、大事の口に風ひかす、ひかす三味線御迷惑、曰く因縁もうしまい、稲荷の狐でくわいくわいくわいと、とかく都は面白や 『言語遊戯考』
数詞入り尻取り付廻し
六じやの口をのがれたる、たるは道づれ世はなさけ、なさけの四郎高綱で、つなでかく縄十文字、十文字の情にわしやほれた、ほれた百までわしや九十九まで、九までなしたる中じやもの、じやもの葵の二葉山、… 『三養雑記』巻一