阿呆陀羅経

阿呆陀羅経 あほだらきょう 〖口演芸系〗
〈阿呆陀羅経〉は、放浪僧が大道や門付で演じる俗謡である。江戸後期に出現、曲詞を変えながらも昭和初期まで、きわめて長い命脈を保った。
阿呆陀羅経では時事関連の「経文尽し」が主流で、これを願人坊主があたかも読経のごとくに節付けで流れるように歌唱した。そのはず、源をただせば〈早物語〉(早口言葉の発祥源)にたどり着く。小さな木魚を叩きながら、時事尽しなど今様の詞のものをいくつも作っては賑にぎしく歌い、大人よりも子供たちの人気を集めた。もとより不特定多数の者がかかわった門付芸であるから、作者や流行時期などは特定できるものでないし、江戸期の随筆等での表記もまちまちである。
【例】
阿呆陀羅「経尽し」
♪ハーい、はじまり、さてはいよいよ、これからは、三味線弾きが三味線弾くのが、尺八吹くのが早いか、しゃべる私が速いのか、速いくらべのお笑いは、本尊様に真向(まむき)に、むかし習ったお経が真言経に観音経か阿呆陀羅経かぴかん経。ありがたいお経はすっからかんと忘れまして、浮かれたお経、心経迦(しんぎょうか)尼(に)大菩薩。あぶく立った、煮い立った、酔っ払ったら飯(まんま)がこげて、くり皿飯や、持った杓子でかきまわせ、ちょせんがおらんだ港が白(しら)んだ。役者がにらみ、お米が高いのにめっぽう食った。丼飯十杯食って、納豆汁十杯食い、秋刀魚(さんま)の干物十枚噛んで、豌豆(えんどう)まめを五合食って、心太(ところてん)を十丁食い、菜食ってしおれて、牛蒡(ごぼう)食って、逆立(さつちよこた)った飯を食って、舌出した茗荷食って馬鹿になった。辛子を飲んでぐっとし、犬食って狸を食って、もぐらを食って馬食って、鹿食いそれでも足りない。『図説 ことばあそび遊辞苑』第13章
仏説阿保多羅経   婆訶那(ばかな)国道(こくど)呂(ろ)法師(ぼうし)
♪女郎買いたい、一体好色、全体野良、皆これ幼少から、育ちが悪いから、小便垂りや、可哀相に、屎(ばば)すりや、可憐(いとんぼ)に、洟(はな)垂(た)りや、舐(ねず)り込み、つまみ食いや、買い食らいは、年中年百(ねんびやく)、商売同然、それから、段々こうじ、小遣(こづかい)銭(ぜに)や、端銭(はしたぜに)は、常住不断、ひっ掛けちょい掛け、くすね込み、御法度の穴一(あないち)、六道、宝引(ほうびき)、ばっかりして、終いにゃ、喧嘩口論、近所町内、友達が、どやどや出て失せ、おらが頭(どたま)、叩いたぜ、ど突いたぜ、堪忍ならん、料簡せんぞ、何じゃかんじゃと言ふてうせ、さりとは困りいり、親達も、ほっこりして、寺屋へ追いやれば、手習いは、さらさいで、ど頭(たま)ばっかり掻いておる、そのくせ、拗(す)ね坊(ぼ)で、しゃっ面(つら)まで、真っ黒けに、ちぎるような、青(あお)洟(ばな)垂れ、牛のような、涎(よだれ)繰(く)り、さすがの、親衆も愛想も小想(こそう)も、尽き果て、為事(しよこと)なしに、奉公さしや、夜尿(よばり)こき、盗み食いで、三日目や、四日目に、ぽい出され、行先や、さんざん骨灰(こつぱい)、方々遍歴、うろうろするうち、どうやらこうやらありつき、ほどなく、元服して、半年ほど、辛抱すりゃ、味噌汁がすっ天辺(てつぺん)へ、飛び上がり、それから、城の馬場(ばんば)、浜々(はまばま)、惣(そう)嫁(か)、夜発(やほつ)、辻(つじ)君(ぎみ)、様々(さまざま)、修業して、密屋(こそや)へはまり込み、まず最初編笠、梅ケ枝、勝曼坂(しよまんざか)、髭剃り、難波(なんば)新地(じんち)、引っ張り込み、尼寺、馬場先(ばばさき)、茶屋小屋、踏み倒し、彼方(あちや)から催促すりゃ、盆屋(ぼんや)からねだり込み、親方、これを聞いて、おおきに立腹、にわかに、帳面見りゃ、十両ほどだだぼだ、請人を、早々呼んで、右の次第、逐一語れば、請人は、驚き、惣々(そうぞう)顔を見合わして、びっくり、仰天、一言(いちごん)の申し訳、これなく、謝りて、ど奴(さ)めを、引っ立て帰り、この由、告ぐれば、親さえ愛想尽き、着のままで、勘当する、一家(いつけ)親類、さっぱり義絶、友達の、所(とこ)いでも、鼻の先で、挨拶する、嬶(かか)までが、同じように、面付(つらつき)が、とんと良(よ)うない、時分でも、茶漬一杯、食わんかと、吐(ぬ)かさず、彼方(あつちや)向いて、為(せ)イでも大事無い、事ばかり、まごまごして居や、取り付く島さえ、手持ち無くうじうじしおしお、早々(そうそう)、出て、彼方(あつちや)行(い)ても、此方(こちや)行(い)ても、何処(どこ)行(い)てもいっこう益体(やくたい)、さすがのどさ奴(め)も、はじめて思い知り、詮方(せんかた)尽き、長町(ながまち)のぐれ宿(やど)い、はまり込み、寒(かん)のうち、真っ裸で、三日ほど、米踏みや、脚気(かつけ)踏出し、油搾(し)めに、行(い)てみりゃ、けんぺき、風邪引いて失せ、揚句にゃ、皮癬(ひぜん)掻いて、おどもりや、疳(かん)瘡(そ)病んで、骨々(ほねぼね)疼き回り、夜も昼もうんうん、きやきや言うてばっかり、食らい物(もん)も、得(え)食らわず、宿銭も無ければ、宿屋から、叩き出す、うろうろきょろきょろ、小便さえ、出かねて、涙ばかり、こぼして、ちんばひいたり、いざったり、みなこれ、心から、五尺の体が、いまさら、邪魔になって、死ぬるのもいやなり、僭上(せんじよう)詰まり、橋の上に、米俵一枚着て、永々煩いました、一銭二銭御報謝(ごほうしや)と、吠え面(づら)構えて、御助けなされて、下三貘三、盆(ぼん)無(ない) 『仏説阿保多羅経狂作天口斎編撰』
*戯作者が「訳」としてはいるが、きわめて読みづらい。現代表記の必要から、荻生があえて改変。京阪地方の生のままの俗語がたくさん使ってあるのにも注目したい。この例はかなりの長文ではあるが、人一倍記憶力に優れた彼ら盲目の法師ら、この程度の詞章の暗記はまったく苦にしないという。