悪態つき

悪態つき あくたいつき 〖口唱伝承系〗
口喧嘩となり思わず吐く激昂した言葉とちがい、洒落た口唱を意識して相手をののしることを〈悪態つき〉と称している。
日本人は悪態に対する罪悪感が薄い、と心理学や民俗学でも教えている。その証拠に全国各地に「悪口祭り」が存在し悪態の応酬合戦を愉しんでいる。ののしりの伝承も民俗資料に山とある。なかでも江戸っ子の悪態好きは極め付き、「江戸っ子はさつきの空の吹流し口先ばかりではらわたはなし」の狂歌があるほど、悪態をつき交わすのも粋興の一つと割り切っていた。歌舞伎台本はじめ黄表紙、洒落本の類も悪態の宝庫で、この言葉遊びが庶民生活にいかに深く浸透していたかがわかる。
【例】 
闇の夜の悪口     井原西鶴
又都の祇園(ぎをん)殿(どの)に、大年(おほどし)の夜けづりかけの神事とて、諸人詣でける。神前のともし火くらうして、たがひに人(ひと)顔(がほ)の見えぬとき、参りの老若(らうにやく)男女(なんによ)左右に立ち分かれ、悪口のさま〴〵云ひがちに、それは〳〵腹かかへる事なり。「おのれはな、三ケ日の内に餅が喉につまつて、鳥部野へ葬礼するわいやい」「おどれは又、人売の請(うけ)でな、同罪に粟田口へ馬にのつて行くわいやい」「おのれが女房はな、元日に気がちがうて、子を井戸へはめをるぞ」「おのれはな、火の車でつれにきてな、鬼の香の物になりをるわい」「おのれが父(とと)は町の番太をしたやつや」「おのれが嬶(かか)は寺の大黒のはてぢや」「おのれが弟(おとと)はな、衒云(かたりいひ)の挟箱もちぢや」「おのれが伯母は子おろし屋をしをるわい」「おのれが姉は、襠(きやふ)せずに味噌買ひに行くとて、道でころびをるわいやい」いづれ口がましう、何やかや取りまぜていふ事つきず。中にも二十七八なる若い男、人にすぐれ口(くち)拍子(びやうし)よく、何人出ても云ひすくめられ、後には相手になるものなし。時にひだりの方の松の木の陰より、「そこなをとこよ、正月布子(ぬのこ)したものと、同じやうに口をきくな。見ればこの寒きに、綿入着ずに何を申すぞ」と推量に云ひけるに、自然とこの男が肝(きも)にこたへ、返す言葉もなくて、大勢の中へかくれて、一度にどつと笑はれける。これを思ふに、人の身の上に、まことほど恥づかしきものはなし。&『世間胸算用』巻四
助六の伝法喧嘩科白     津打(つうち)治(じ)兵衛(へえ)ここな、ドブ板野郎の、たれ味噌野郎の、出がらし野郎の、そばかす野郎め。引込みやがらねへか。わるくそばへきやがると大どぶへさらい込むぞ。&『助六(すけろく)由縁(ゆかりの)江戸(えど)桜(ざくら)』の歌舞伎台本
*花(はな)川戸(かわど)の助(すけ)六(ろく)こと曽我五郎(そがのごろう)は、江戸巷間の伝説的人物。実在したともいわれている。
湯屋口論      式亭三馬
なんだ、此(この)ごつぽう人(にん)め。四文(しもん)一合(いちがう)、湯豆腐一盃(いつぺい)がせきの山で、に、濁(にごり)酒(ざけ)の粕(かすつ)食(くれへ)め。とんだ奴じやアねへかい。誰だと思つてたはことをつきアがる。二日の初湯ッから大(おほ)三十日(みそか)の夜中まで、是許(こればかし)もいざア云(いつ)た事のねへ東子(あづまつこ)だ。ナア、斯(か)う云ちやあしちもくれんだけれど。&『浮世風呂
女への極めつけ罵り言葉     泉 鏡花
じつとお君を見つめ、またゝきもしないで石のやうに立つて居たが、えッといふと僵(たふ)れるやうに前へのめつて、お君の帯(おび)際(ぎは)をむづと取つた。怒りにつきあぐる声もしどろに、/「畜生、業(がふ)畜生、汝(うぬ)まだ遁(に)げる気でいやあがるな、土女(どめ)郎(らう)め、!」と引まはして身体(からだ)を捩向(ねぢむ)かして、また占めるやうに、頸を抱いた。&『辰巳巷談 はがひじめ』第三十二