文芸遊戯の系統 洒落系

洒落系 しゃれけい  
「洒落」という言葉は、用いられる状況に応じて次の三重構造をもつ。
⑴一般にいう洒落
気のきいた服装や格好よく見栄えのする言動をとる場合に用いる。→おしゃれなスタイル、しゃれた趣向
⑵文学上の洒落
頓知・滑稽・風刺など笑いを誘うようなエスプリと作品群をさす。→粋な洒落、洒落た文言、洒落本
⑶言語遊戯の洒落
同音異義語や類音語を使い、音義の変換に導くことによって、元の語句を別義に仕立て笑いをいざなう用法全般をさす。
以上の用法は、⑴よりも⑵、⑵よりも⑶の順で使用範囲が狭まっていく。
⑶の言語遊戯上の〈洒落〉は最も範囲が狭いが、それでも〈掛詞〉〈秀句〉〈地口・口合〉〈語呂合わせ〉〈洒落言葉〉〈むだ口〉あるいは〈三段謎〉〈早口〉など、かなり広範囲な言語遊戯を包含している。すなわち、〈洒落〉こそ言葉遊びの動脈といっても過言でない。
〈洒落〉は自体が社交上の実用性をそなえたものだ。〈洒落〉を口にすることは、相手を意識した上での戯れ、遊びである。自分だけの世界で〈洒落〉を言っても始まらないわけで、洒落をよく理解しうる相手あって初めて効用が生じる。そのため〈洒落〉一つ披露するにも洗練されたセンスと知性が要求される。いわゆる〈駄洒落〉とばしが、しばしば相手から蔑(さげす)まれこそすれ好意をもって迎えられないのは、口先だけの安易さゆえである。言葉遊びの〈洒落〉が多様化し、高度な文彩(修辞)技法で磨きあげられてきたのも、そうした背景あってのことである。相手を魅了し自然に笑いへ誘う〈洒落〉には、一に即興性、二に趣向のよさ、三に見立ての確かさ、四に穿(うが)ちの冴え、五に独創性という「五上手」が要求される。これらの要件は、日頃の〈洒落〉に対する心構えと訓練によって身につく。
〈洒落〉の語源は、ふざけるという意味の平安言葉「サル」「ザル」からきている。これらが動詞化して「サレル」「ザレル」に訛り、さらに鎌倉・室町時代に「シャレル」へと移った。これの名詞が「シャレ」であり、漢字「洒落」が当てられ定着した。当て字ではあるが、表意文字としての漢字の特性を最大限に生かした、好ましい表記である。当用漢字にないというだけの理由で「しゃれ」と平仮名書きし、平仮名の多い地文中に埋め込んでしまうと、読み方がわずらわしいし、せっかくの当て字も浮かばれまい。以上の見解から、本書では「洒落」の表記を通すことにする。
〈洒落〉はまた、昔から審美的概念を想起させる言葉で、和歌の作歌用語である〈掛詞〉と並んで〈秀句〉の姉妹語でもある。というより〈秀句〉はもともと〈洒落〉を包括する、より広義な文芸用語であった。しかし時代が下がり〈秀句〉に取って代わる語、上方で〈口合〉が、江戸で〈地口〉が盛んになると、〈洒落〉は庶民の言語生活の中により深く浸透していく。
どこでも吉野木〳〵、これ色男、こつちへ来(き)のめ田楽〳〵と、しやれをいふ。田舎老人多田爺作『遊子方言』
まず、こんな調子である。
いずれにせよ、〈洒落〉は江戸文化を派手に飾った知的産物で、天明期(一七八一〜八九)にはおりからの〈狂歌〉大流行とあいまって、普及が頂点に達した。気のきいた〈洒落言葉〉や〈軽口〉一つ言えぬようでは江戸っ子でない、という風潮すら生んでいる。それかあらぬか〈狂歌〉〈雑俳〉はもとより、滑稽本黄表紙・噺本から児童の唱(となえ)詞(ことば)に至るまで、〈洒落〉につぐ〈洒落〉に染まっていった。
こうして〈洒落〉を道連れにした遊び心は、言語遊戯の領域をも一段と拡張していく。当時の童歌(わらべうた)一つ取りあげても、言葉遊びとは切っても切れないつながりにある。そして〈洒落〉の精神は、近代へ入っても衰えをみせず、さらに現代に生きるわれわれの心根にも、風流を解する命脈として息づいている。