文芸遊戯の系統 秀句系

秀句系 しゅうくけい
「秀句」には大きく二義がある。一つは一般的に知られている歌俳や詩文の批評用語で、優れた作品そのものをさす。もう一つは、座興をはじめ芸能、あるいは中・近世の咄本(はなしぼん)などで、〈掛詞〉や〈縁語〉を用いて表現する滑稽を秀句といっている。後者のほうが言語遊戯でいう〈秀句〉で、平安時代中期から使われるようになった口(くち)遊(すさ)びの一形態である。鎌倉時代には慣用化し、兼好の『徒然草』にも、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど寺はなかりければ、今よりはほうしとこそ申されめといはれけり、いみじき秀句なり」とある。
秀句と掛詞とは修辞上は同じものである。違いは用いる分野が異なるだけ。掛詞が歌学
用語であり和歌に限定して用いられるのに対し、秀句のほうは、和歌をも含め通俗的分野(雑俳など)にまで用語範囲が広がっている。
秀句の語は、時代が下がるにつれて、後世語である〈洒落〉の語義が濃くなっていく。はじめは和歌の掛詞・縁語の技法を通俗的諧謔に転用していたのが、室町時代には猿楽の応酬(やりとり)などにみる〈興(きよう)言(げん)利口(りこう)〉の分野にまで拡張し、言語遊戯性がいっそう強まった。当時、秀句の才ある者は「口(くち)疾(はや)き者」と呼ばれ、また大蔵流狂言の『秀句傘(からかさ)』では職業的な「秀句言(いい)」が登場している。江戸時代に入ると、秀句は咄本を通じていっそう広まり、〈秀句咄〉が巷間の人気をさらった。話の落に秀句が多用され、面白さを演出したのである。
しかし秀句は、縁辺関係にある〈かすり〉や〈こせ言〉などとともに、元禄(一六八八〜一七〇四)あたりから〈口合〉あるいは〈地口〉といった新語にとって代わられ、徐徐にではあるが死語化していく。